金屏風事件
(前略)
平成元年の7月11日、中森明菜(当時23歳)が近藤真彦(当時24歳)の自宅で衝撃の自殺未遂を起こしたことだった。
(中略)
「すぐに結婚したかった明菜と、結婚は30歳を過ぎてからという近藤の考えには温度差があったわけですが、すでに6年間も交際をしていた明菜にとっては、近藤に全てを捧げる覚悟を持っていたに違いない状況でした。
(中略)
その中でも一番、明菜の心を砕いたのが最大のライバルであった松田聖子と近藤の、ニューヨークでの密会キス写真を写真週刊誌に掲載されたことだった。これが自殺未遂の最終的な引き金となったと言われています」
その後、約半年間も表舞台から姿を隠していた明菜は、12月31日の大晦日、夜10時過ぎという時間に緊急復帰会見を行なうことになる。
会見場には明菜だけではなく近藤の姿もあり、バックが金屏風というものだった。
これは婚約発表会見ではないかと、現場の新聞記者たちが、元旦のトップ記事の差し替えや、見出しのやり取りでちょっとしたパニック状態になっていたという。
https://www.jprime.jp/articles/-/14279
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