ポル・ポト
ポル・ポト(1928年5月19日 – 1998年4月15日)は、カンボジアの政治家、共産主義者。
民主カンプチア首相・カンボジア共産党中央委員会書記長を務めクメール・ルージュでの精神的指導者として知られている。大量虐殺などを行っていた歴史がある。
ポル・ポトは心臓発作のため1998年4月15日に死去。しかし遺体の爪が変色していたので毒殺または服毒自殺の疑いもある。遺体は兵士によって古タイヤと一緒に焼かれた後、そのままその場所に埋められた。
ポル・ポトの後妻と後妻との間に生まれた1人娘が火葬に立ち会った。後妻と娘は「世間が何と言おうと、私達にとっては優しい夫であり、父でした」と発言。埋葬直後には墓は立てられなかったが、のちに墓所が建てられた。墓碑などはなく、粗末な覆屋の看板に「ポル・ポトはここで火葬された」とのみ記されており、溶けかかったタイヤとともに遺骨が土の上に、むき出しの状態で置かれている。以前はここに建物が建てられていたとも言われるので誰かが墓を破壊したとも見られている。死後アンロンベンに豪勢な廟が建てられたタ・モクとは対照的である
https://ja.wikipedia.org/wiki/ポル・ポト